伝説のRock Singer

尾崎豊 - I Love You

尾崎豊 15の夜

尾崎豊 卒業 - Yutaka Ozaki - graduada GRADUATION

OH MY LITTLE GIRL / 尾崎豊

僕が僕であるために

尾崎豊 - 誕生 1991.   福島県郡山

「誕生」

 

俺の時計の針がちょうど午前零時を指した
過ぎ去る時は新しい日の中に消え去ってゆく
訳もない涙が溢れ そっとこぼれ落ちる
分からないものが俺の全てを狂わせてしまった
愛を失い 仕事すらなくし 俺は街を出た
そして今俺は一体何を待ち続けているのか


ポケットには別れた家族の写真がある
皆で笑い俺は兄貴に肩を抱かれてる
その写真をながめる度 分けあった訳の中に
それぞれが選んだ生き方を思い浮かべてみる
人生はいつも誰にも冷たいものだから
捨ててしまうことの方がきっと多いものだから

街の風は凍ついたまま吹きつけ心隠さなければ
大切なもの何ひとつ守りきれやしないから
そっと目を閉じて ふっと心を閉ざし 暮らしているけど

Hey baby 俺はクールにこの街で生きてみせる
Hey baby 俺は祈りの言葉なんか忘れちまった

俺はきっとまだ マトモにやれるはずさ
街中の飢えた叫び声に立ち向かいながら
俺は走り続ける 叫び続ける
求め続けるさ 俺の生きる意味を

一人で生きる寂しさに疲れ やがて恋に落ちた
彼女と二人暮らし始めて半年が経った
マトモな仕事が見つからずに 荒れ果てた暮らし
投げ出したくなるそんな暮らしが続く日毎に俺は
愛の温もりも忘れて 心はすさんでゆき
自分自身から逃げ出そうと 脅えて暮らした

心の弱さの逃げ道に罪を犯した俺は
捕えられ 牢獄の重い扉の奥で息をひそめた
そして裁判の後 俺は手首ナイフで切り付け
気がつけば病院のベッドの上薬漬けにされた

あぁ教えてくれ 俺のどこに間違いがあるのか
街の冷たい風から逃れて生きてきただけなのに

やがて俺もマトモな生活を見つめ彼女と暮した
ある日彼女は 涙ぐむ笑顔の中でつぶやいた
二人の新しい命が宿り 生まれてくることを

Hey baby 俺はクールにこの街に生まれた
Hey baby そして何もかも捨てちまって生きてきたんだ

生きる早さに追いたてられ 愛 求め 裏切られ 孤独を知り
振り返ることも出来ず 震え暮らした
そして走り続けた 叫び続けた
求め続けていた 生きる意味も分からぬまま


産声を上げそして立ち上がり
やがて歩き始め 一人きりになる
心が悲しみに 溢れかき乱されても
脅えることはない それが生きる意味なのさ

Hey baby 忘れないで強く生きることの意味を
Hey baby 探している 答えなんかないかもしれない

何ひとつ確かなものなど見つからなくても
心の弱さに負けないように立ち向かうんだ
さぁ走り続けよう 叫び続けよう求め続けよう
この果てしない生きる 輝きを

新しく生まれてくるものよ おまえは間違ってはいない
誰も一人にはなりたくないんだ それが人生だ 分かるか

 

 

 

 

 

「誕生」 この詩は はじめから読むと、

挫折して、どう生きて行っていいのかわからなくなりそんな時、

彼女に逢い結婚、荒れていた日々にピリオドをうって、

そして・・・長男裕哉君の誕生

色々な辛い事があったけど

当時はとても、幸せな生活をいしていたのだど思うが。。。

どうして。。。突然の死(T_T)

 

メンタルの弱い私には、なんとなくだけど

彼の気持ちがわかるような気がする。。。

とても辛い、悲しい。。。

 

 

「 君たちがこれから力強く生きていくことを

心から祈っている・・・」

と。。。言った彼のあの言葉は

彼にとって なんだったんだろう?

 

 

 

 

尾崎 豊(おざき ゆたか)

 

1965年11月29日 生まれ

 

  東京都練馬区
血液型 B型
学歴 青山学院高等部中退

 

 10代の代弁者として一世を風靡した尾崎は、

20歳になり方向性を見失い突然無期限活動休止を宣言し単身渡米する。

当時曲を生み出せないことに苦悩していた尾崎は、何の収穫もないまま一年後に帰国する。

 

プライベートでは一般人女性と結婚、長男が生まれ、新たな価値観を見出した尾崎は

1990年レコード会社を古巣のソニーに復帰、

2枚組アルバム『誕生』をリリースし、オリコン1位を記録。

さらに個人事務所ISOTOPE(アイソトープ)を設立し、

翌年には大規模ツアーを行うなど、尾崎は完全復活を遂げる。

 

 

26歳での突然死

 

1992年(平成4年)4月25日早朝、

 足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、

通報で病院に運び込まれる。

体が傷だらけだったが診察した医師は深酒のみという診断で尾崎は妻とともに自宅マンションに戻る。

しかし、午後になり呼吸が止まっているのに気がついた家族が救急車を通報したが、

搬送先の日本医科大学付属病院で死亡した。

 

葬儀は東京都文京区の護国寺にてファン葬が行われ、参列者は4万人近くに上り、

美空ひばり、吉田茂に次ぐ規模であった。

密葬は日蓮正宗流にて営まれ、墓所は埼玉県所沢市にある。

 

2003年に放送されたラジオ番組「今夜もバリサン」で

長渕剛は「彼(尾崎)は最後レコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。

彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ!」と語っていた。

 

1992年4月25日帰らぬ人となった。

 

 

 

尾崎豊の長男

 

尾崎 裕哉(おざき ひろや、1989年7月24日 - )は、エフエムインターウェーブのDJ、音楽ユニット・Crouching Boysの元メンバー。

  • 1989年7月24日 - 尾崎豊(ロックシンガー)の長男として東京都に生まれる。
  • 1992年4月25日 - 2才の時、父・尾崎豊 死去。
  • 幼少時代を母親と共にアメリカ合衆国・ニューヨークで過ごす。そのため英語が堪能である

 

 

 尾崎豊 公式サイト 

  

   http://www.ozaki.org/

 

 

 

 

尾崎豊の長男の      尾崎 裕哉(おざき ひろや)